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東京家庭裁判所 昭和40年(家)1751号 審判

申立人 野村広一(仮名)

相手方 野村梅(仮名) 外三名

被相続人 野村三郎(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は、被相続人は○○書院という名称で長年出版業を経営していたが、昭和三七年一月一九日死亡した。相続人は申立人および相手方等の計五名であり、遺産としては土地、家屋、在庫商品、紙型その他動産類が存する。相続開始後、被相続人の遺志と相続人全員の希望により、申立人と兄野村昭男が事業を継続していたが、約一五年前より兄弟間にいろいろと錯誤があり、申立人としてはどうしても兄昭男と共同して事業を継続していくことができないので、一切を分明にするのが最善の道であると考え、ここに遺産分割の申立をするものである、というにある。

本件は、後記のとおり遺言書が存するので、兄弟関係調整という趣旨で二六回にわたり調停が行なわれたが、ついに円満解決に至らず不成立に終つたため、件名に従つて審判に移行したものである。

よつて審案するに、一件記録によれば、被相続人は野村東圃とも称し、昭和四年以来○○書院という名称で図書出版業を営んでいたが、昭和三七年一月一九日鳥取市○町○丁目二二四番地で死亡したこと、被相続人は昭和三三年一〇月五日自筆証書による遺言状を作成したが、その第三項に「野村三郎および野村東圃名義の財物はすべて○○書院の財物とし個人には譲渡せざるものとす。従つて相続人の必要もなく従来申したること此れに換えてすべて消滅となる」と記載していること、被相続人は昭和三六年六月二一日「株式会社○○書院」を設立し、自らその代表取締役に就任していることが認められる。

上記事実によれば、被相続人の全遺産は、遺言状発効の日、すなわち被相続人死亡の時に、株式会社○○書院に帰属したものというべきである。この点につき申立人は、被相続人が遺言状を作成した時には、株式会社○○書院はまだ設立されていなかつたのであるから、遺言状にいう○○書院とは、個人経営若しくは一個の特別団体としての○○書院を指し、従つてそれは法人ではないから法律上の効力はない旨主張するが、遺言は遺言者の死亡の時からその効力を生ずるものであるから、その効力発生の時に、法人としての株式会社○○書院が設立されておれば、法律上の受遺能力としては必要にしてかつ十分というべきである。このことは、未だ出生せざる子に対する条件付遺贈が可能であることからも明らかであろう。のみならず、上記遺言状第二項には「○○書院その時々の代表者は取締役相互の互選によりて決定すること」とあるので、被相続人が遺言状を作成する時には、すでに株式会社○○書院を設立しようという意図を有していたものと推測することができるから、この点に関する申立人の上記主張は採用できない。

また申立人は、株式会社○○書院は、設立後直ちに税務署へ休業届を提出し、したがつて株式会社としての○○書院は今まで運営されたことがなく、被相続人死亡後も従来どおり個人経営としての○○書院のみを運営しているのであつて、このように設立だけして何もしていない有名無実の会社に、財産を遺贈するということは常識上ありえないと主張する。しかし、株式会社○○書院が税務署に対し休業届を出していることは、個人が病気その他の理由によつて休業しているのと同様に、受遺者としての資格に何等欠けるものではない。のみならず、昭和三六年一一月に、被相続人も参加して合議の上決定したと思われる「○○書院規約」と題する書面から推測すれば、被相続人は、自己の生存中はともかく、死後は個人経営の○○書院は廃し、株式会社○○書院のみの運営を希望していたことがうかがわれるのである。従つて、株式会社○○書院は、遺贈者の遺志に従つて事業を再開し、かつ、遺言執行者の選任を求めた上で、速かに遺言者の意思を実現するように心掛けるべきであろう。

なお、学説中には、包括受遺者は相続人と同じように見られ、従つて法人が包括受遺者となる場合にはいろいろな点で不都合を生ずるから、法人は包括受遺者にはなれないとの見解もあるが、この見解に当裁判所は同調できない。たしかに相続の欠格、相続人の廃除、生前贈与等の規定については、法人には適用しえないものもあるが、それ故に不都合を生ずるということはないであろう。すなわち法人に適用しえない規定は、適用しないだけのことである。法人も法律上の一個の人格者として、議決機関、代表機関を有し、また行為能力を有する以上、包括受遺者としての能力を欠くとは思われない。とくに本件のごとく、全遺産を包括的に遺贈するという場合には然りである。

以上認定のとおり、被相続人の財産はすべて株式会社○○書院に遺贈されたのであるから、本件については遺産がないこととなり、従つて遺産の分割を求める本件申立は却下のほかはない。

なお附言するに、本件紛争は、被相続人のもつともおそれた事態が現実化したものともいえる。被相続人はこのことを予想し、これを未然に防止せんとして、懇切詳細な遺言状を記し、また○○書院規約を残したのである。被相続人なき今日、相続人等はこれを熟読玩味し、その趣旨を体して事業に精励すべきであろう。特に申立人広一および相手方昭男は、ともに創業者の出版精神に思いをいたし、その継承者として、また共同経営者として、常に人の心を得るよう細心の注意を払い、度量を大きくもつて専横に陥いることなく、またいたずらに血肉を分けた同胞を排斥することなく、更にすぐ暴力に訴えるがごとき態度は改めるべきである。本審判は、結果的には、申立人の最初の意図を容認せず、敗退したかの観を呈するが、このことは相手方昭男の勝利を意味するものでは決してない。強いていえば、被相続人の遺志を確認し、その実現を期したものである。従つて当事者双方は、夫々大智に立脚し、本件紛争をいつまでも根にもつことなく、一切を水に流した上で、全員協力して事業の発展に心掛け、もつて先人の霊を速かに安んぜしめるよう希望して止まない。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 日野原昌)

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